近鉄大阪線旧東青山駅探訪記

 1975年11月23日、伊賀上津−榊原温泉口間が新線に切り替えられ、青山トンネルを含む4つのトンネルと西青山・東青山(いずれも旧駅)の2駅が廃棄されました。
 当時中学生だった私は、旧線最後の日に東青山駅を訪ねました。晩秋の夕陽を浴びて、ビスタカーやエースカーがのっそりと山あいの小駅を通過していったことを今でもはっきり覚えています。
 連休の一日、廃止後四半世紀近くを経た近鉄大阪線旧東青山駅を再訪しました。

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 国道165号線から林道をクルマで数Km入り、更に急な坂道を数百m歩くと旧東青山駅跡に着きます。
 構内は、上下2面のプラットホームが残っていますが、駅本屋やホーム上屋はあとかたもありません。地面には川砂利のバラストが散乱し、そこに線路があったことを示しています。ただ、廃線後自生したと思われる松や雑木が成長し、構内全体を見渡すのはほとんど不可能になっていました。
 旧東青山駅中川方にある滝谷トンネル(726.9m)坑口は樹木が少なく、全体を見ることができます。トンネル入口には鉄製の柵があるものの、扉が開いた状態で錆び付いていて、内部の探検が可能です。滝谷トンネルに続く2本のトンネル(溝口トンネル=931.1m、二川トンネル=799.2m)を抜けると、現在は『東青山四季のさと』となった旧垣内西信号所跡に出るはずですが、トンネル探索の準備はしてこなかったのでこれは断念しました。
 構内北側には、昔、ハイキングコースであった階段と売店が比較的原形をとどめた形で残っています。駅本屋は線路南側にあるにもかかわらず、ハイキングコースは線路北側から直接駅構内につながっていて、ハイカーは構内踏切を通って一旦改札を出、出札窓口で改めて切符を購入するという奇妙なことになっていました。
 200mあまりの有効長があった構内には、巨大なコンクリートの構造物が設置されています。廃線後に造られたことは間違いありませんが、目的や用途は不明です。
 構内西側の青山トンネル(3432.1m)坑口付近は、雑木が生い茂っていて、これらをかきわけて進まないとトンネルには行けません。
 上本町方の安全側線車止めが辛うじて原形をとどめており、速度制限解除の標識が残っていました。青山トンネル坑口の鉄柵も開いた状態になっています。トンネルの中から緩やかに風が吹き出していて、坑道が今も貫通していることを示していました。

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 現役当時、何度も行ったことがある駅の廃虚というのは、言いようのない感傷があります。旧線を駆け抜けた12100系スナックカーや2610系は、更新を受けつつもまだ現役であるだけに、放棄された旧線の状況は余計心に迫ってきます。
 構内に生い茂った木の幹は直径20cmにもなろうとしており、経過した時間がいかに長いものであるかを示していました。私自身も同じ齢を重ね、もはや青春とは言えない域にさしかかろうとしていますが、この20年あまりの時間で、私は何を得、何を失ったのか、ちょっと重苦しい感慨を抱きながら旧駅をあとにしたのでした。


 現役当時の旧東青山駅構内見取り図。主たる乗降客はハイカーで、駅正面に続く林道はけもの道同然であった。現在はこの林道を通って行くことになる。
 見取り図をクリックすると、その場所から撮影した写真を見ることができます。

駅本屋

上りホーム

下りホーム

売店

滝谷トンネル

青山トンネル


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(1997.11.3改変)