家族性痙性対麻痺に合併した反復性肺塞栓症の1例
奈良県立奈良病院内科
福井寛人,神本有美,堀井学,鵜山秀人,鶴田俊介,藪田又弘
森田診療所
森田博文
奈良県立奈良病院放射線科
吉岡哲也
A CASE OF RECURRENT PULMONARY EMBOLISM COMPLICATED BY FAMILIAL SPASTIC PARAPLEGIA
Hiroto FUKUI, Yumi KOHMOTO, Manabu HORII, Hideto UYAMA, Shunsuke TSURUTA, Matahiro YABUTA
Department of Internal Medicine, Nara Prefectural Nara Hospital
Hirofumi MORITA
Morita clinic
Tetsuya YOSHIOKA
Department of Radiology, Nara Prefectural Nara Hospital

Abstract: The patient was a 73-year-old male, who was known to have familial spastic paraplegia. He came to our hospital with a edema in the lower legs and dyspnea on effort in Jun 1995. An electrocardiogram showed small q in II, III, aVF. He was diagnosed as having inferior old myocardial infarction and treated with nitrite, diuretic and ACE inhibitor.
In November 28 1997, he was admitted to our hospital with sudden dyspnea and chest discomfort. An electrocardiogram showed QS pattern in II, III, aVF and right ventricler loading. A echocardiogram showed enlargement of right ventricle and paradoxical movement of interventricular septum. A pulmonary angiogram showed obstruction of artery of right lower lobe. A hemodynamics disclosed a marked increase of systoric pulmonary artery pressure. A pulmonary perfusion scanning showed diffuse defects in both lung. A venogram revealed a vein thrombus in the right lower extremity.
Thus the patient was diagnosed as having recurrent pulmonary embolism due to venous thrombosis of lower extremity. We employed anticoagulant therapy and a Greenfield vena caval filter to inhibition of pulmonary embolism.

Key words
recurrent pulmonary embolism, familial spastic paraplegia, Greenfield vena caval filter

はじめに
 肺塞栓症は,肺の機能血管である肺動脈が閉塞する疾患である.塞栓子は血栓性塞栓子によることが多く,急性・広範性に発症した例においては,死に至ることも稀ではない.本邦においても,老年人口の増加に伴って近年増加傾向を示している.他方,本症は他疾患と誤診されやすく,診断困難な疾患の代表的なものとされる1)
 今回,われわれは家族性痙性対麻痺の患者に繰り返し発症したと思われる肺塞栓症を経験したので報告する.

症例
 患者:73歳 男性
 主訴:呼吸困難・前胸部痛
 既往歴:特記すべきことなし.
 家族歴:特記すべきことなし.
 現病歴:1982年頃から徐々に下肢の運動麻痺を生じ,神経内科で家族性痙性対麻痺と診断されて通院中であった.1995年6月,下腿浮腫と労作時呼吸困難を自覚するようになっため当科外来を受診した.心電図上,・。・aVfでsmall q波を認めたので,陳旧性下壁心筋梗塞による心不全が疑われた.硝酸薬・利尿薬・アンギオテンシン変換酵素阻害薬の投与により症状の改善が認められたが,同年11月28日,急激な呼吸困難と前胸部痛を自覚したため緊急入院した.
 入院時身体所見:身長156cm.体重54Kg.血圧106/66mmHg,脈拍110回/分,整.結膜に貧血・黄染は認めなかった.努力様呼吸で口唇にチアノーゼを認めた.頚部リンパ節および甲状腺の腫大はなかった.心音は純で心雑音は聴取しなかった.音の分裂・亢進を聴取したが,呼吸音は正常.腹部は平坦・軟で,肝・脾・腎は触知しなかった.下腿浮腫はない.
 
末血
WBC
6,900
/μl
RBC
521
×104/μl
Hb
14.9
g/dl
Ht
46.0
%
Plt
18.0
×104/μl
生化学
T-Bil
0.9
mg/dl
GOT
23
IU/l
GPT
11
IU/l
LDH
244
IU/l
CPK
42
IU/l
CRP
0.8
mg/dl
凝固・線溶系
PT
11.3
sec
APTT
66.0
sec
FIB
208
mg/dl
FDP-S
4.0
μg/dl
AT-。
18.77
mg/dl
動脈血液ガス (room air)
pH
7.488
PaCO2
54.8
mmHg
PaO2
24.6
mmHg
HCO3
18.5
mmol/l
BE
-2.7
mmol/l
SAT
90.8
%
Table.1
入院時検査成績(Table.1):末梢血に異常はなく,凝固系でAPTTの軽度上昇を認めた.GOT,LDH,総ビリルビンの上昇はなかった.動脈血ガス分析で著明な低酸素血症を認めた.

Fig.1

胸部レントゲン写真(Fig1):初診時に比べ,心拡大と右肺動脈の拡大が認められた.肺野のうっ血はなく,透過性にも大きな差はなかった.

Fig.2A
Fig.2B

心電図所見:初診時,・。・aVFでsmall q波を認めた(Fig2A).入院時は,初診時に較べ,泓U導でのS波が出現し,・。・aVfにおいてより顕著なsmall q波が認められた.また,V1のR波増高も認められた(Fig2B).

Fig.3

心エコー図所見:心室中隔の奇異性運動,右室拡大および三尖弁逆流を認め(Fig3),肺動脈収縮期圧は約50mmHgと推定された.局所的な左室壁運動低下は明らかでなく,左室機能は比較的保たれていると考えられた.
安静Tl心筋シンチグラム:下壁部分を含めて陰影欠損はなく,心筋梗塞の存在は否定的であった.

Fig.4

肺血流シンチグラム:正面および側面像で右上中下肺野および左上肺野に多発性の欠損像を認め,反復性の肺塞栓が示唆された(Fig4).

Fig.5

肺動脈造影:肺動脈末梢の描出は不十分で,右肺動脈本幹は3.5cmと拡大しており,下葉枝は閉塞していた(Fig.5).
右心カテーテル:右肺動脈収縮期圧は66mmHg,右室収縮期圧は70mmHgと高度に上昇しており,心拍出量は毎分3.5Pであった.
経過:本例は,肺血流シンチグラムおよび肺動脈造影から,家族性痙性対麻痺に合併した下肢深部静脈血栓症による反復性肺塞栓症と診断され,heparinおよびwarfarinによる抗凝固療法を行われ,さらに下大静脈にGreenfield filterを留置された.以降,症状の増悪をみることはなく,現在も当科外来に通院中である.

考察
 肺塞栓症はしばしば診断が困難な疾患であり,臨床的には急性心筋梗塞や解離性大動脈瘤,原発性肺高血圧症との鑑別が問題となる.
 日常臨床では,血液検査,胸部X線写真あるいは心電図をもとに診療を開始することになる.血液検査では,白血球増多,LDH上昇,CRP陽性,FDP上昇が見られる.古典的Triasとして,LDH,総ビリルビン,GOTの上昇があげられるが,これらが揃うことは稀である2).胸部X線写真では,肺梗塞を合併しない限り特徴的な所見は乏しい3).本症に特徴的な心電図変化として,S1Q3パターン,右軸偏位,V1・V2におけるQrパターン,時計方向回転などがあげられるが,これらはいずれも右心系に急激な圧負荷が加わることによって生じる心電図変化であって,急激かつ広汎な急性肺塞栓症でなければ認められないことも多い4).本症例は,初診時に肺塞栓症に特徴的な心電図変化は見られず,下壁梗塞との鑑別が問題であった.その原因として,下肢静脈血栓症に起因する小規模な肺塞栓症を反復していたため,右心系への圧負荷が比較的緩徐に増強したことが推測される.
 他方,本症例では,心エコーで右室負荷を示す所見が得られた.著明な低酸素血症とあわせて本症を強く疑う所見であるが,慢性閉塞性肺疾患の急性増悪時など,低酸素血症をもたらす病態では,同時に肺動脈圧上昇をきたすことがあり,注意を要する.
 本症の基礎疾患は,長期臥床,血栓性静脈炎,心肺疾患などが多い5).本症例の患者も家族性痙性対麻痺によって半ば寝たきりの状態にあるものであった.
 1980年代に入り,下肢ないし骨盤の静脈血栓症に対して経皮的に挿入できる下大静脈フィルタが考案され,広く使用されるようになった.本症例に用いたGreenfield filterは留置手技も容易で肺塞栓症の再発予防効果も高い6).抗凝固療法に伴うリスクが大きい高齢者にはより適した再発予防方法と考えられる.

まとめ
 家族性痙性対麻痺の患者に繰り返し発症したと思われる肺塞栓症に対して抗凝固療法行うとともに,Greenfield filterを留置することによって軽快した症例を経験したので報告した.
 本論文の要旨は,第149回日本内科学会近畿地方会で報告した.

文献

1)土橋ゆかり, 高田信和, 富田友幸:肺梗塞. 老化と疾患, 8:189-194, 1995.
2)国枝武義:肺塞栓・肺梗塞. 臨床成人病, 20:950-954, 1990.
3)池田賢次, 中島明雄:肺梗塞. medicina, 29:2138-2143, 1992.
4)McIntyre,K.,Sasahara,A.,David Littmann,D.:Relation of the Electrocardiogram to Hemodynamic Alterations in Pulmonary Embolism. Am.J.Cardiol. 30:205-210, 1972.
5)井村裕夫, 尾形悦郎, 高久史麿:心外膜疾患と肺性心. 最新内科学大系. 中山書店, p268-297 1991.
6)古寺研一 : 下大静脈フィルター挿入術 , 臨放 , 39:1457-1463, 1994.

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