『格付け』が大はやりである。
モノやサービスの購入にあたって、選択肢(商品の種類)の多さに価値が置かれる一方で、各選択肢(商品)の中身はますます高度化・複雑化しているから、消費者は、何をどう選べばいいか、ちょっとやそっとでは見当がつかない。
そこで、『格付け』という仕組みが登場してきた。公的機関や非営利団体、場合によっては営利企業が消費者に代わって選択肢の中身を評価し、消費者にわかりやすく提示する訳だ。
この『格付け』が特に盛んな業界がある。金融・保険の分野である。
競争促進の名のもとに政策が大転換され、今までどれも同じであったはずの銀行の格差が表面化した。消費者がその選択を誤れば、自分の財産に被害が及ぶ。必然的に消費者は銀行の選択に非常なエネルギーを費やさざるを得なくなった訳だが、しかし、金融・保険の分野は、非常に専門的であるから、その実力や価値はちょっとやそっとではわからない。
そこで、信用できそうな機関が発表する『格付け』という指標が、消費者の選択のうえで大きな意味を持つことになる。良好な『格付け』を得た銀行は、『我が社はトリプルAの評価を得ています』なぞと盛んに宣伝する訳だし、そうすることによって、銀行は、より多くの消費者の支持を得、より多くの利益を上げられるわけだ。
さて、私が身を置く医療の分野も、これと非常に似た情勢にある。
先に書いた一節で、『金融・保険』を『医療』、『銀行』を『病院』、『消費者』を『患者』、『財産』を『生命』に置き換えれば、そのまま立派な文章になる。『銀行病院は、より多くの消費者患者の支持を得、より多くの利益を上げられるわけだ。』なんてちょっとどうかと思うが、近ごろ、医療分野への営利企業参入が解禁されたから、そう遠くないうちに、何ら違和感のない記述になるのであろう。
それはさておき、昨今、いろいろな団体が公表する病院の格付け基準を見ると、『治療成績』という項目が必ず入っている。たとえば、手術の成功率。その病院でガンの手術を受けた患者のうち何パーセントの人が、5年後も生存しているか(→"5年生存率"と言い、実は医学の分野で治療成績を評価する際のもっとも一般的な指標である)を評価するというのである。患者は病気を治すために病院に行く訳だから、その数字に大いなる関心があって当然であるし、したがって、こうした指標が病院の格付けに反映されるのがあたりまえ言えるかも知れない。
しかし、実際に医療の現場で働くものとしては、こうした評価方法には、非常な疑問を抱かざるを得ない。なぜなら、患者の重症度や合併症の有無という視点がまったく欠けているからである。この評価方法は、各病院で手術を受ける患者の質が同じであるという前提にたっているが、これは現実とは大いに異なるのだ。
数年前のことだと記憶しているが、ある新聞が主な病院の胃ガンの5年生存率を調査し、大学病院の成績が、実は一般市中病院にも劣るという結果が出て話題になったことがあった。最高度の技術と設備を持つ大学病院の治療成績が悪いという事実は、世間一般の人々には意外なことに思われるかも知れない。しかし、医療に携わる人間から見ると、それは容易に予測できたことであった。
なぜなら、大学病院は、生命や健康を守る最後の砦として、普通の病院では治療困難な最重症例や幾多の合併症を持つ患者が数多く集まるからである。
私は、一般市中病院に勤務しているが、自分の病院で治せないと思った患者さんは、もっとも信頼できる大学病院に治療をお願いする。もちろん、それでも治せない患者さんも少なくないが、しかし、私の目から見て治療が極めて困難であると思われた患者さんが見事に治癒して帰ってきたりすると、『さすがに大学病院の実力は違う...』と心底感心したりする。
もし、治療成績が悪いという理由で大学病院がなくなれば、本当に重症の患者さんは治療を受けることができなくなってしまうであろう。
さて、たとえば手術の成功率が病院の価値(格付け)を決める大きな指標となり、病院の生き残りを決めるカギとなった暁には、どのような事態が予想されるであろうか。
手術の成功率を上げるには、確実に成功する症例だけを選んで手術を行うのがもっとも近道である。ちょっと難しそうな症例、手のかかりそうな患者は、最初から敬遠すればよい。つまり、重症患者さんは最初から相手にしないほうが、病院の評価が上がることになるのだ。
『診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。 』(医師法第十九条)という規定があるから、医師は手術を拒否できないと考える人がいるかも知れない。しかし、ここで言う診療治療とは、最終的に患者の苦痛(病気)を取り除くための行為全体を指すのであって、患者の求めに応じて、ある特定の治療法(手術)を行うことではないと思う。
医師の仕事(治療)は、どんな手段を用いて病気を退治するか、とり得る選択肢を取捨選択して患者に提示し、患者が最善の選択を行えるように助言することから始まる。医師が最初から手術を敬遠したいと考えるならば、取捨選択の段階で、手術を選択させないバイアスがかかることは想像に難くない。
結局、表面的な手術の成功率ばかりが重視されると、外科医は、病気に対して果敢に挑戦するよりも、自分の実力の範囲内で手堅く仕事をする道を選ぶようになると思う。ある一定レベル以下の軽症患者は、どの病院でも歓迎(?)され、選択肢が増えるであろうが、本当に高度な技術が必要な重症患者や幾多の合併症を抱えた患者は、今まで以上に選択の余地が狭まるに違いない。
病院の使命は病気を治すことであるから、その治療成績をもって評価するのも当然だ。しかし、治療成績を比較するに際しては、その中身を十二分に吟味しないと、ここに書いたような弊害を生む。患者の重症度や合併症の程度をいかにして数値化し、評価に反映させるか。それは、恐らくは非常に困難な作業に違いない。
医師をはじめ、医療に従事する者の多くは、病魔に果敢に挑戦し、より重症で気の毒な患者さんを助けてあげたいと思っている。その素朴な感情や熱意をそぐような安易で軽薄な格付けだけは、絶対にやめていただきたいと思う。
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制作:2003年5月25日