病院の2000年問題

 2000年1月1日まで、あと2か月と少しになった。

 社会の各分野で、Y2k(2000年問題)への対策は着々と進んでいるとと聞くが、我が医療の分野はその対応は著しく遅れているという。

 私個人の考えを述べると、2000年1月1日、病院内で使われている医療機器のコンピュータが誤作動を起こしても、患者の生命が直接脅かされる事態はほとんど起きないと思っている。

 現在、医療現場で使用されているコンピュータは多いけれども、そこで働くスタッフには、いい意味での"職人気質"がいまだに健在で、コンピュータを全面的に信用している人は少ない。医療の現場では、コンピュータが言うことよりも、自分の目で見、耳で聞き、手で触れた感触で判断することが多く----少なくとも、コンピュータの指示と実際の患者の容体に差があれば、"コンピュータがどうかしてるんじゃないか"と考えるのが常識----、仮にコンピュータが誤作動しても、医師や看護婦がそれを疑わしいものとして認識するから、実際に患者に危害が及ぶことは少ないと考えるからだ。

 実際、去年私が最新鋭の医療機器を備えた集中治療室に勤務していたときも、コンピュータがウソを言うことは日常茶飯事であった。厳密に言うと、生体の情報を感知するセンサーの信頼性がいまひとつなので、ソフトウエアがいくら正確に動いても、その結果はしばしば間違ったものになるのである。コンピュータがウソを言うごとに、私は患者の容体を診に行き、『まあ、大丈夫そうやから、このまま様子を見ましょう』と看護婦に指示したものである。
 医療は、いまだに人が主体となって成り立つ"産業"であって、コンピュータはわき役にしか過ぎない。主役はコンピュータで人がわき役となってしまった他の多くの産業分野とは異なり、コンピュータが多少機嫌を損ねても、別にどうということはないのである。

 それより怖いのは"停電"ではないかと思う。

 ちょっとした病院ならば、自家発電装置が備えられていて、商用電源がストップしても数十秒で送電が再開されることになっている。『当院には自家発電装置があり、停電してもすぐに電気がつきますから心配いりません。』とうたう病院は数多いが、実は大きな間違いだと思う。

 確かに、昔の、機械仕掛けの医療機器ならは、一旦停電しても、送電が再開されれば何事もなかったかのように仕事を始める。数十秒間、人工呼吸器が停ったことで直ちに絶命するような患者はまずいないから、一見それで大丈夫そうに見えるが、現実はそうではない。

 いまどきの医療機器は大半がコンピュータ内蔵で、瞬間的な停電であってもシステムが気絶してしまう。一度電源が落ちれば、警報ブザーが鳴り響き、『回路を点検し、パラメータを設定してください。』というメッセージを表示したまま動かなくなる。こうなってしまうと、再起動には無数のパラメータを再設定しなければならず、かなり長い時間が必要になってしまう。(注) 夜間や休日は、病院に配置されているスタッフは著しく少ないから、もし、一斉停電が起これば、人工呼吸器や輸液ポンプの機能再開には相当長い時間を要し、その間、生命を脅かされる患者が出現することは間違いなかろうと思う。

 もちろん、主要な病院では、2000年1月1日午前0時には普段より多くのスタッフを配置するのであろう。国立病院に対しては、厚生省が『1999年12月31日には院長が自ら当直せよ。』との指示を出したと聞く。けれど、停電は狭義の2000年問題とは別問題であって、今日・明日に起こっても何ら不思議はないのである。

 危機管理という視点からは、2000年問題よりはるかに深刻な問題なのだが、そのことに気づいている人は少ないように思われる。時計機能のないレスピレータに『2000年問題対応済み』のシールを貼るヒマがあったら、一度動作中にその差し込みプラグを抜いてみるべきである。

注:こうした事態に備えて、多くの医療機器にはバックアップ電源(主にニカド電池)が内蔵されている。ところが、そのメンテナンスは全くと言っていいほど行われていないから、いざ停電となると、あっという間に『電源電圧低下』のアラームが鳴るのが現実だ。新鋭医療機器を買うことに熱心な医療機関は多いが、そのメンテナンスにカネをかけている病院は少ない。

ICU(集中治療室)

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(C)Hiroto Fukui Oct 20 1999