コゲつき患者

 考えられるすべての治療をしたあとも、様々な理由で退院のめどがたたない患者のことを『コゲつき』と言う。受け持ち患者がコゲついてしまうと、主治医は病気の治療よりも、どうやって円満に退院していただくかということに忙殺されることになる。

 患者はモノではないから、行き先が決まらないのに『期限が来たから、ハイ、退院』とはいかない。退院させる以上、今後も一応安心して生活できる環境を保証するのは病院の重要な責務なのだが、こうした仕事だけを専門に扱う職員が配置されている施設は多くないから、たいていは主治医がその仕事を背負い込むことになる。恐ろしく手間ヒマのかかる仕事だが、もちろん病院はその料金を徴収できないし、担当医師個人に手当てがつくわけでもない。

 あたりまえのことだが、医療機関にはそれぞれの使命がある。

 たとえば、各地の『救命救急センター』と呼ばれる施設は、交通事故や心筋梗塞、中毒などの急性期の重症患者に集中治療を行うためのもので、リハビリテーションや介護を主体とする施設ではない。救命救急センターに運ばれた患者は、急性期の治療が終われば、亜急性期の疾患を扱う病院に移ってもらわないと新たな患者を受け入れることができなくなる。懸命の治療をしたにもかかわらず、不幸にしていわゆる植物状態になってしまったような患者さんも、ある時点で"見切り"をつけて、別の病院に移ってもらわざるを得ない。

 一般の病院でも同じようなことが起こる。というより、コゲつく症例数はこっちのほうが遥かに多い。コトの処理の面倒臭さも、こちらのほうが数段上である。
 救命救急センターは、ある意味では医療体制の頂点に立つ病院であるから、退院後の行き先は一般病院が多い。これに対し、一般の市中病院では、何の医療・介護支援もない家庭に帰さなければいけないからである。

 私の経験からすると、もっとも危ない、つまりはコゲつく可能性が高いのは、一人暮らし、あるいは家族と同居しているが大した介護なしで何とかやってきたお年寄りである。
 心不全や肺炎など、疾患そのものは治っても、入院生活で足腰が弱った結果、介護なしには生活できなくなってしまう人は少なくない。入院の事実そのものが患者さんを弱気にさせてしまうこともある。あるいは、これは私の勝手な感想かも知れないけれど、病院では、食事を作ることも、布団の上げ下げ(病院では、シーツ交換)も、全部看護婦や看護助手がやってしまうから、患者さん自身に他人への依存心が生まれてしまう側面もあるかも知れない。いずれにせよ、介護がないと生きていけない状況になってしまうのである。

 本来は、ここで介護を主体とした福祉サービスの出番となるのだが、その整備は非常に遅れているから、医療+介護の双方のサービスがある病院からいきなり家庭への復帰というのはそう簡単ではない。
 コゲつきそうな患者の家族には、かなり早い段階でそれとなく退院を迫るのだが、『じゃあ、明後日に退院させて貰います。お世話になりました。』と退院のメドがたつことはまずない。

 『せめてトイレに歩けるまで治療してください。』、『小さな酒屋をやってましてして、昼間は面倒を見る人がいません。』、『いまは寒いし、退院してカゼでもひかないかと心配で...』、『私は一人娘ですが、もう嫁いでますから...』etc、家族の反応、言い分は様々である。
 もちろん、それぞれもっともな言い分だし、こっちだって好んで退院させてるわけではないが、病院のベッド数には限りがあるから、こうした患者さんばかりを限度を超えて入院させておくと、肺炎や心不全の急性増悪など、即座に入院治療が必要な患者さんの治療ができなくなってしまう。

 『先月、緊急入院したときは、ホント、死ぬかと思いませんでした? でも、入院して治療したら、まあ完全とはいかないけれど、ほとんど良くなったでしょう。いま、この病院のベッドはいっぱいです。あの日のあなたと同じような患者さんが毎日入院できずにいます。』
 こういう言い方が最も効果的だが、それでも徹底抗戦(?)する人は少なくない。

 それに(というより、こっちが本当の理由だが)、国が決めた入院患者1人1日あたりの入院医療費は、長期入院になればなる程減っていく仕組みになっているから、こうした患者を延々入院させておくと病院が潰れてしまうのだ。私は最下層の勤務医、普通の会社で言えばヒラ社員だから関係ないが、院長・副院長といった幹部医師は、経営と患者の板挟みにあって、毎日胃に穴があくくらい悩んでいるのではないかと思う。

 遺伝子治療や臓器移植など、時代の最先端を行く医療の情報がマスコミに溢れている。
 私は、こうした技術、そして報道を否定するものではない。未来に対する投資だって必要だと思う。けれども、これらの医療技術が広く普及し、一般の人々がごく普通にその恩恵にあずかることができる時代はまだ遠いと思うし、臓器移植に至っては、その性質上、誰もが受けられる普通の治療手段には絶対になりえない。

 それよりも、いま、ごく普通の病院で起こっていること、お年寄りをかかえる家族なら、明日にでも直面するかも知れない問題、本来病気を治療すべき医師がそれ以外の仕事に悩殺されている現実を知っていただきたいと思う。


薬局

(1999.2.10記)


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