医者の不養生

 ついに風邪をひいてしまった。

 昨日朝からどうも身体がだるいと思っていたら、午後からは猛烈な寒け(悪寒)が出現。こりゃダメだと思って体温を測ったら、38.2℃もあり、残業を早々に切り上げて帰宅した。

 『風邪』といっても、特別な治療方法があるわけではない。十分な水分補給と保温・安静・休養。それだけである。
 現実の診療現場では、『鼻水が出ます。薬をください。』とか、『明日仕事です。一発で直る注射をしてください。』という患者さんの要望に応じて適当な薬や注射を処方するが、はっきり言ってオマジナイ以上の効果は期待できないから、私自身が風邪をひいても、そんな薬は使わない。熱を下げ、身体の筋肉痛をとる薬(非ステロイド消炎鎮痛剤)1錠と少し多めの麦茶だけをのんで早々に寝た。

 今日水曜日の仕事は、午前中が心臓超音波検査、午後は外来診療で、いずれも予約で埋まっている。ICU(集中治療室)にも受け持ち患者がひとりいて、これは1日たりともほっておく訳にはいかない。多少熱っぽい感じはあったのだけれど、何とか出勤した。

 午前中はまだ良かったが、午後には再び悪寒がして、38.0℃の発熱。マスクをつけ、白衣を2枚重ね着して外来診療を始めた。

私 :おかわりありませんか?
患者:先生こそ、どうしはったんですか?
私 :ちょっと風邪をひきまして...。(ズズズ)→鼻水をすする音
患者:風邪が流行ってるみたいですからなあ。熱も出てますのん?
私 :はあ。
患者:大変ですなあ。まあ、おだいじに...。

 どっちが医者でどっちが患者だかわからない会話をしながら、約30人の患者を診た。

 この日曜日は当直だったから、日曜朝9時から月曜夕方19時まで、34時間ぶっ続けの勤務であった。その間、数えきれないくらいの風邪の患者さんを診たから、これで風邪がうつらないほうがどうかしている。看護婦さんからは『よかったねえ、先生もアホやのうて...』なぞと揶揄されてしまったけれど、とにかく2日間、風邪のウイルスを浴びながら無理な勤務をしたことが今回の発熱につながったことは間違いなかろう。

 医者の不養生という言葉がある。私はこれは真実であると思う。医者で長生きをしたという話はあまり聞かない。

 考えてみればあたりまえである。ふだん、仕事で風邪をはじめとする感染症の患者さんに多く接している。当然、感染の機会も多い。いわゆる肝炎の多くは、ウイルスを含む他人の血液が体内に入ることによって感染するが、このメカニズムが解明されていなかった頃にバリバリ活躍された60歳代以上の外科系の先生の中には、自身が肝炎で苦しんでおられる方が非常に多いときく。もちろん、日常的に血液を浴び続けた故に、知らない間に肝炎ウイルスが体内に入ったからである。

 感染症だけではない。徹夜の当直勤務を含む不規則な生活、受け持ち患者が急変していつ病院から呼ばれるかも知れないというストレスetc、身体に良いことは何ひとつない。

 最近、奈良県の某大学病院(と言ったらひとつしかないが)で、研修医2人が結核を患っていることが判明した。『結核にかかった医者が患者を診ていた!!』と憤慨する人もいるかも知れないけれど、大学病院における研修医の勤務状況を考えたら、まあ、驚くべきことではないと思っている。

 どうしたら健康を保てるか、どうやったら長生きできるかは十分すぎる程知っているけれど、患者さんに奉仕しようと思えば思う程、それに反することをやらざるを得ないのが医者である。

 医者の不養生という言葉を聞いて、皆さんはどんな印象をお持ちであろうか?

 『医者は患者に偉そうに言うけれど、自分自身には甘くて健康管理すらできない。』----そんな解釈が間違いだとは言わないけれど、『医者は無茶を承知で仕事をして身体を壊してしまう。』というのがより正しい意味ではないかと思う次第である。


(1999.1.20記)


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