輸液ルート、導尿バルン、気道チューブ、動脈ライン、サチュレーションモニタetc、身体じゅうにチューブやセンサーが取り付けられた重症患者のことを『スパゲティ症候群』と呼ぶのだそうだ。また、『臨終間際の肉親を見舞いに言ったら、身体じゅうにチューブが入れられ、かわいそうで正視できなかった。』という話もよく耳にする。
交通事故のような外傷とか、心筋梗塞などの急性かつ重症の病気は別として、たとえば癌の末期患者などにこんな処置をするのはほとんど意味がない。医者であれ、看護婦であれ、ほんの数年でも医療の現場に身を置けばすぐにわかることである。けれども、現実には『スパゲティ症候群』になって亡くなる人があとをたたない。なぜか。
私自身は死んだ経験がないから断定的なことは言えないけれども、患者本人にとって死ぬということは、肉体的にとても苦しくシンドイことだと考えている。『眠るように亡くなる』というのは安らかな死のたとえだが、そんな幸運な臨終を迎えることができる人は少数派だ。
臨終間近になると、文字どおり断末魔の苦しみが患者を襲う。もがき苦しむ肉親を見て、家族は当然のことながら『先生っ、何とかしてくださいっ。お母さんが苦しんでいますっ!!』とヒステリックに叫ぶことになる。
こんな場面で、テレビドラマのように深刻な表情で首を横に振れる医者は、患者・家族から全面的な信頼を受けるよっぽどのベテランであろう。
『とりあえず家族の願いをかなえてあげたい』という医者としての軽薄な良心、『何もしないと無能な奴と言われるかも知れない』という妙な不安、『苦しんでるのに何もしてくれなかった、と訴訟を起こされるかも知れない』という案外マジな心配がいっしょくたになって、私のような小心者は、そのみじめな結末を予期しながらも『挿管!、ルート確保!、ボスミン1A!』と叫んでしまうのだ。
家族は病室から追い出され、あっと言う間に患者の身体に何本ものチューブが差し込まれる。心拍や血圧はチューブを介して投与されるクスリで維持されるから、患者が生きてることには間違いないけれど、もちろん意識はない。
処置が終わって、変わり果てた患者を見た家族は、『これでお母ちゃんはラクになった。きっと良くなって、いずれ目を覚ますに違いない。』と希望的観測をするのだが、半日もすればそれはとんでもない間違いだと気づく。話しかけても、手を握っても、チューブにからまった患者は話しもしなければ頷きもしないからである。
医療を提供する側にすると、こうした患者の管理は大変なテマがかかる。半ば人為的に生かされている状態であるから、血圧、心拍、尿量、酸素濃度や血液検査のデータに基づいてつきっきりの管理をしないと、あっという間に状態が悪化する。担当医の多くは泊まり込みになるのが実情だ。
それから数日、場合によっては数か月のち、闘病に疲れ果てた心臓は静かにその鼓動を止める。臨終である。けれども、それは大多数の人が想像する臨終のシーンではない。患者はとっくの昔に意識をなくしているから、最期の言葉なんか語れるはずがない。理論に基づく非現実的な輸液で身体はぱんぱんにむくみ、患者の顔に元気な頃の面影は微塵もない。家族は、血圧計のディジタル表示がゼロになり、心電図モニタの波形が平坦になったことで患者の死を悟るのみである。
主治医としては、一応、型どおりにペンライトで瞳孔の散大を確認し、『ご臨終です。』とその死を告げることになるが、この時期になると、肉親(遺族)の大半は事態を冷静に理解しているから、わっと泣きだす人はあまりいない。ポケットからケータイを取り出し、『あ、オフクロね、いま亡くなりましてん。』とどっかに電話する人。『あのー、このあと家まで運んでくれるんでしょうか?』と不安げに聞く人(ちなみに、遺体を自宅に運ぶのは陸運局の免許を受けた専門の業者であって、病院にそんなサービスはない)
。中には『○○ちゅう葬儀屋がエエいう話やわ』なぞと語り合う家族もいる。
結局、患者本人にとってはチューブを差し込まれた時点、家族にとってはそれからある程度の時間が経過した段階で『死』が訪れたわけで、残りの時間は、法律上生きていた時間にしかすぎないのである。
実は、こうした終末期医療には巨額の医療費がかかっている。現実には老人医療としてその大半が保険で支払われるので、自己負担ぶんのみを支払う家族がそのことを実感することは少ないが、この種の患者に対して1日あたり数十万円もの医療が行なわれることはごくありふれたことなのである。
『地球より重い一人の人間の命を救う』という大義名分のもと、こうしたことが問題になることは少ないが、貴重な医療費を費やし、患者も家族も、そして現場で働く医療スタッフも、何も得るもののないこんな医療はどこかおかしいと思う。もっとも、虚像と先入観に基づく医療不信・患者不信がはびこる現在、『スパゲティ症候群』をなくすことは容易ではなかろうが。
注:『スパゲティ症候群』というのは、おそらくはマスコミ関係者が作った言葉で、正式な医学用語ではないし、医療機関内で日常的に使われる用語でもないので念のため。
冠動脈造影検査(本文とは関係ありません)
(1998.7.16記)