『入院したから安心』か?

 猛暑が続いている。昨日の日曜は当直勤務であったが、自宅で寝たり起きたりの生活をしている老人2人が入院した。診断はいずれも脱水である。

 患者を病院に連れてきた家族は、決まってこう言う。

 『ばあちゃん、これで安心や。せっかくやからゆっくり入院させてもろて、カラダの悪いとこ、センセに徹底的に調べてもらおな。』

 ところが、入院が決って患者が病室に入ったあと、主治医からの病状・治療方針の説明を聞くと、さっさと帰宅してしまう家族も少なくない。長い介護と猛暑で、家族だって疲れているのだと思うことにしている。

 さて、こうして入院した老人だけれど、正直言えば私は『カラダの悪いとこ』を『徹底的に調べ』るようなことはしないことが多い。そんなことをすると、悲惨な結果しか得られないことのほうが圧倒的に多いからである。

 私の病院はベッド数500の総合病院であり、それなりの新鋭医療機器は揃っている。血液検査、レントゲン検査、超音波検査から始まって、MRIや血管造影装置、超音波砕石装置もある。いくらでも検査はできるし、そうしたほうが病院の収入は増えるけれど、その分、患者に負担がかかる。また、半ば寝たきりの老人の場合は、こうした検査をして診断がついたとしても、特別な治療方法はない(と言うより、体力などの面で現実には治療ができない)ことが多い。
 それに何よりも、入院は患者さんの精神状態に変調をきたす。昼間は意識のはっきりしたおじいちゃんが、入院した夜に突然病棟内を徘徊するようなことは日常茶飯事なのだ。

 結局、この手の患者は、必要最小限の入院治療でこれまでの生活に戻すのがいちばんいい。脱水なんかはせいぜい数日の輸液で良くなる。あとは地域の開業の先生・訪問看護のスタッフに引継ぐのである。
 もっとも、最近はこういう患者さんを診てくれる先生が減っている。一旦退院したものの、数日間で病棟に逆戻り、という例もある。手間と人手をかけてじいちゃん、ばあちゃんをコツコツ診るより、最新の医療機器を駆使して患者を診察するほうが世間のウケはいいし、カネになるからだ。

 最新医療機器を備えた病院がいい医療機関、という人々の意識が、広い意味での終末期医療を困難なものにしている。



冠動脈造影術で写し出された右冠動脈。▽の部分で細くなっている。冠動脈は心臓自身に血液を送る重要な血管。もし詰まると、致死率の高い急性心筋梗塞を発症することになる。(本文とは関係ありません。)

(1998.7.7記)


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