医療情報の公開について(2)

 後ろ向きに考えれば、患者も医者もちっとも得をしないと思われるカルテ公開だが、前向きに考えるとその利点は極めて大きい。

 そもそも、自分の健康というのは自ら管理すべきものである。自分のカラダの状態、そしてそれに施された医療の記録も、本来は患者さんひとりひとりが管理すべきものであると考える。

 今は世の中にゴマンという医療機関があり、そのいずれにかかるかは患者の選択に任されている。実際、医療機関をハシゴする患者さんは多い。それはそれで意味のあることだが、問題は医療機関をハシゴするごとに医療のプロセスがリセットされ、ゼロからスタートすることにある。

 最近、私が経験した事例をひとつあげよう。

 先日、還暦を過ぎた男性が胸痛を訴えて深夜の救急外来を受診した。
 心電図をとってみると、急性心筋梗塞の可能性があることが判明した。心筋梗塞は、心臓自体に血液を送っている血管(=冠動脈)が詰って起こる重い病気で、もしそうであるならば、一刻も早く心臓カテーテル検査を行って詰った部分を通してやらないといけない。
 ところがこの患者、話を聞いてみると6年前に別の病院で冠動脈バイパス術を受けていることが判明した。冠動脈が詰ったか、あるいは詰りかかっていることがわかったので、その部分をバイパスするように別の血管を縫い付ける手術を受けたのだ。

 その事実を知って、私は心臓カテーテル検査を行うことを躊躇した。
 この患者の冠動脈は、いわば改造された状態にある。冠動脈バイパス術といっても、どのようなバイパスを作るかは患者の状態によってまったく異なる。仮に、心臓カテーテル検査を行って冠動脈のある部分が詰っていることがわかっても、それが手術のあとに起こって今回の発作の原因となったものなのか、あるいは既にバイパスという対策が施されたものであるかは分からない。心臓カテーテル検査は、本質的にある程度の危険を伴うものなので、一定以上の成果が期待できる場合にしか行うべきものではない。
 私は、患者が手術を受けたという病院に電話をしてみたが、アルバイトらしい当直医からは、なにぶん昔のことなので、簡単にカルテを探すことはできないという返事しか貰えなかった。(何ともいい加減との印象をお持ちになる方も多いと思うが、私の経験からすればこの対応はやむを得ないものだと思う。)

 結局、その夜は心臓カテーテル検査は行わなかった。結果的には狭心症であったが、もし、本当の心筋梗塞であったとすると、みすみす治療のタイミングを逃すところであった。

 この例で、もし、患者が自分が受けた手術の方式や結果を記した記録を持っていたらどうであろうか。私はすぐに心臓カテーテル検査を行ったと思う。
 その患者が受けた『改造』は明らかであるから、心臓カテーテル検査の所見と患者の持つ記録をつき合わせれば、手術後に生じた冠動脈の閉塞はすぐにわかる。もし、新しい閉塞があれば、それは今回の発作の原因である可能性が高いから、すぐにそこを通してやればいい。

 カルテの公開は、患者がそれを複写して保存する権利も当然含まれていると考える。自分のカラダの状態、自分に施された治療の情報を自ら管理するのは当然のことだ。
 医療情報の公開を前向きに利用する姿勢が望まれると思う。
 

(1998.6.20記)


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