都会の夜−−−老いと孤独と暗闇と
4月から、大阪・吹田市の病院に転勤になった。吹田と言っても、千里の丘の新興住宅地ではなく、川ひとつ隔てて大阪市東淀川区と向かい合う下町の病院である。新しい勤務先は、ベッド数500の総合病院。この程度の病院は大阪にはゴマンとあるが、奈良県にもってくれば間違いなく5本の指に入るであろう病院である。(実はこれまで勤務してた奈良県最大の県立病院よりまだ規模が大きいのだ!)
それまで住んでいた奈良のアパートから通勤できなくもないのだが、夜間の緊急カテーテル検査などに対応しないといけないので、病院から徒歩5分程度の場所に引っ越した。東京から奈良にUターンして以来、7年ぶりの『都会暮らし』の再開である。
歩いて5分以内の場所に、ひと晩じゅう営業しているコンビニが3軒もある。レンタルビデオ屋もあれば居酒屋もある。ピザの宅配だってOKだ。日付が変わっても、通りを歩く人の姿がまったく絶えることはない。いつのまにか自由で気ままな都市生活を満喫している自分に気がついた。
私自身の生活も変わったけれど、病院を受診する患者さんの層も大きく変わった。
病院に老人が多いことは全国共通だが、こちらはひとり暮らしの老人が多い。前の病院では、息子や嫁に連れられてクルマで来院する患者が大半だったが、この病院では半分以上のお年寄りが一人で来院する。人口密度が高く、歩いて病院に通えることもあるが、それよりも一人暮らしのために病院に連れて行ってくれる人がいない場合が多い。
元大手新聞社のデスク、元国鉄機関士、あるいは元華道の先生etc、男性はもちろん、女性もかつては自らの職業を持ち、自分の力で給料を得ていた人が大半である。こうしたお年寄りは概して頭の回転が早く、こちらの言うことの飲み込みもよい。実際の年齢に較べて若く見える人が多いのである。
ところが、この病院で初めての当直をして驚いた。
昼間ははつらつとしていたこうした一人暮らしのお年寄りが、『息が苦しい』とか、『身体がだるい』、あるいは『眠れない』など、業界用語(?)で言う不定愁訴を訴えて深夜次々と来院するのである。不安げな彼らの視線に、昼間の闊達な姿を想像するのは難しい。
『どうされました?』
患者さんの訴えをゆっくり聴き、血圧を測り、聴診をする。多少血圧が上がっている場合もあるけれど、多くの場合はどこにも異常はない。『おばあちゃん、血圧ちょっと高めやけど、あとはどっこも異常ないわ。安心してええよ。』と説明すると、ほんの少し安堵の表情を浮かべて街路灯に照らされた夜道をひとり帰っていく。便利で活気あふれる都会の夜も、彼らにとっては耐えがたいほど長く孤独な時間なのである。
夜通し輝くコンビニの明かりの背後には、どんな辺境よりも深く暗い闇がひろがっていることを実感した。
(本文とは関係ありません。)
(1998.6.16記)