情報通信技術の急速な発展に伴って、いわゆる『遠隔医療』に関する研究や実験が花盛りである。今朝の新聞でも、トヨタ系の大手自動車部品メーカーがこの分野に参入するという記事が出ていた。全然畑違いの企業が投資をするというのは、それなりの市場が見込めると読んだからであろう。
『遠隔医療』というのは、患者の自宅にテレビカメラや血圧計などの医療機器を置き、病院にいる医師が通信回線で結ばれたこれらの機器を使うことによって診療を行おうというものである。
自宅でいながらにして医師の診察を受けられるわけであるから、忙しい人や移動がままならぬ高齢者・障害者にはこれほど便利なものはないと思われる。
現在は、患者を診察しないで投薬するいわゆる無診療投薬が法的に禁止されているから、こうした遠隔医療はおおっぴらにはできないことになっているが、そう遠くない将来、こうした医療が実用化される日が来るとは思う。
ただ、こうした医療が広く普及するかとなると、私は相当疑問に思っている。
こうした仕組みを研究しているのは、主として工学系の企業や研究者なのだけれど、医者の立場から言わせてもらうと、医者が患者を診るという行為は、テレビカメラやセンサーで代用できるほど単純なものではなく、機械がとって代るのは容易ではないと思う。
病院に行くと、採血その他いくつもの検査が行われて医師はコンピュータで打ちだされた数値データをもとに診断を下しているように見える。確かにこうしたデータは非常に客観的で有用ではあるのだが、医者が患者の容体を判断する上では、こうした数値以外の情報が今でも大きなウエイトを占めているのが現状だ。
たとえば、慢性心不全の患者さんの管理。
来院した患者さんが、『ここ数日、ちょっとしんどいですねん。』と言ったとしよう。
まずは患者さんの顔色を見てみる。息づかいはどうか。顔色が悪かったり、苦しげな呼吸をしてたりしたら、これはちょっとやばいということである。
次に血圧を測り、脈をみる。脈が乱れていれば、当然具合が悪い。胸に聴診器をあてて聴診を行う。肺に水が溜まっているかも知れないし(心不全が悪くなると特有の音が聞こえます)、もしかしたら心臓病が悪化したのではなくて、肺炎にかかっているのかも知れない。おなかも一応さわってみる。ある種の心臓病の薬は、消化器系の副作用が出ることがある。足にむくみがあるかどうか、あるとすればどの程度なのかというのも重要な情報である。
ふだんの外来診療では、ほんの数分で最低限これだけのチェックをしているのであるが、これと同じことを遠隔医療で行おうとすれば、上にあげた各種の情報をセンサーで数値化し、通信回線で伝送するということが必要になる。
テレビカメラを使って患者の微妙な顔色の変化を正確に伝送できるのか、あるいは腹部を触診したときの感触、足のむくみの程度はどうやって数値化するのか、正直言って課題は多いと思う。
次に患者の側から言えば、機械を介した診察が患者の不安を解消できるのか、ということがある。
病院に来る患者さんは、程度の差こそあれ、自分の病気について不安を抱いている。いつもの医者に聴診器を当ててもらい、血圧を測ってもらって安心する、という人は極めて多い。機械を介した診察が果たして患者の不安を解消できるのか、これは考えようによっては、大変難しいことなのではないかと思う。
結局、遠隔医療なぞというのは、face to faceの医療の補助にしか過ぎず、恐らくはそれほど普及しないのではないかと私は思っている。
(1997.11.2記)