晩秋の東北旅行---新幹線を乗り継いで


『スーパーはつかり20号』(青森駅)


E751系の普通車内


盛岡駅在来線ホームにあった洗面所


盛岡駅で


『こまち』の分割作業


『こまち』・『やまびこ』の併結風景


『こまち24号』車内


東京駅東海道新幹線ホームで


東京駅新幹線ホームで

新幹線を乗り継いで...

『スーパーはつかり20号』

 今日、これからのスケジュールは、かなりの強行軍である。特急3本を乗り継いで、午後3時まえに青森でいた人間が、その日のうちに大阪に帰り着こうというのだ。

 青森→大阪の日着最終列車は、15時40分発の『はつかり22号』である。しかし、盛岡での乗り継ぎ時間がわずかしかないし、来年末にJRの経営から分離される八戸-盛岡間では、車窓風景が見られないだろう。そこで、1本早い『はつかり』に乗ることにした。14時40分の『スーパーはつかり20号』は、JR東日本の新型特急車両が充当される。

 青森駅2番ホームには、赤と白のツートンカラーの特急が待っていた。E751系という交流専用特急車両である。現在は、盛岡-函館専用だが、将来は青函トンネルを通って、函館まで足を伸ばすことが予定されている。

 20%程度の乗車率で青森を出発。広大な青森操車場跡地を右に見ながら、列車はどんどん加速する。やがて、左手に陸奥湾が見え、浅虫温泉を通過。

 最初の停車駅は、野辺地である。地元銀行の広告がはいった大湊線の気動車が停車している。反対側には、南部縦貫鉄道のホームがあるが、営業が休止されて久しく、線路は草ぼうぼうだ。

 車販ワゴンが回ってきた。各種弁当をはじめ、ビールやジュース、菓子などが満載されている。JR北海道では、車内販売の売り上げが低迷し、すべての業者が撤退してしまった。仕方ないので、JR自らが車内販売を行っているというが、東北地方は事情が違うのであろうか。

 新幹線開業準備に忙しい八戸では、どっとお客が乗ってくる。
 関西に住むものから見ると、県都青森まで達しない新幹線延長はなんだか非常に中途半端に見える。けれども、この混みようをみると、それなりの根拠があるようにも思える。
 ガラス張りの新幹線ホームがほぼ全容を現し、架線を張る作業が行われていた。

 八戸を出た列車は、青森-岩手県境の山間部に入っていく。
 1968年10月の東北線全線複線電化完成まで、D51蒸気機関車の三重連が活躍した線区である。なかでも、奥中山という駅のあたりは、古い鉄道ファンの間では聖地みたいなところらしい。
 私は、関西線の加太越え、あるいは、和歌山線吉野口-北宇智間のようなところを想像していたが、峠というよりむしろ高原と呼んだほうがよさそうな地形で、新型特急列車は速度を落とすことなく、あっという間に通過してしまった。あと1年で、このあたりはJRの線路ではなくなることが決まっている。

 新幹線の高架に圧倒されそうな沼宮内付近から、線路の周囲に民家が目立つようになる。青森ではほとんど見かけなかった瓦葺きの家が多い。

 左手車窓には八幡平、反対側には、姫神山が美しい姿を見せている。在来線特急だと、両者をゆっくり見比べる時間があるけれど、来年、新幹線が開業したら、そんな暇はなくなるのだろうと思う。

 16時52分、盛岡着。

2本の新幹線乗り継ぎ

 新幹線改札口を入ると、ちょうど、東京からの『やまびこ・こまち19号』が到着したところであった。ここで、『こまち19号』が切り離され、在来線を改軌しただけの田沢湖線を大曲に向かう。
 JR東日本の新幹線では、列車の併結/分割が日常的に行われているが、東海道山陽新幹線では、ごく一時期、JR西日本が実施した以外は、行われていない。滅多に見る機会がないので、見物に行く。

 列車分割作業は完全に自動化されていて、あっけない程簡単であった。
 通常の在来線列車であれば、幌を畳み、ジャンパ線を外してから、一方の車両を少し後退させて切り離し。再度ドアを開け閉めしてから出発するのが普通である。ところが、"秋田新幹線"の場合は、まだ列車がつながった状態のままドアを閉め、そのまま一気に出発してしまう。列車が動き始めると、連結器カバーがひとりでに閉まる。これで、おしまいである。

 では、併結の場合はどうか。

 私が乗る『こまち24号』は、盛岡駅で『やまびこ24号』に併結することになっている。
 21番ホームには、E2系電車が既に停車していた。青森方の先頭車は、連結器カバーが開き、準備は万全である。
 定刻より5分程遅れて、『こまち24号』が入線。こちらも既に連結器カバーが開いている。在来線だと、黄色いヘルメットを被った専任の係員が、手旗(or 合図灯)で車両を巧みに誘導するのだが、作業を見守るのは、通常の制服を着た駅員2名だけである。手旗は使わず、トランシーバーで運転士に合図を送っている。
 『こまち24号』は、一旦停車のあと、微速で前進。音もなく連結器が噛みあい、これで作業は終わりであった。

 5分の遅れを引きずったまま、『やまびこ・こまち24号』は盛岡を出発した。

 盛岡出発時点で、『こまち24号』の車内はすでに満席である。新幹線とは言うものの、車体の大きさは在来線と同じなので、視覚的にはちょっと窮屈な感じがする。車窓には、時々町の明かりが見えるが、乗り慣れた東海道新幹線と違って、いったいどのあたりを走っているのか、皆目見当がつかない。

 仙台で、かなりの客が下車する。下車したのと同数の客が乗り込むので、満席の指定席車内の様子は一見変化がない。しかし、耳をそばだてると、それまでの東北訛りに代わって、車内の東京弁密度がぐっと上がっているのがわかる。

 私の隣の席に、ゴルフ帰りらしい壮年の男性4人が乗り込んできた。
 話の内容を聞いていると、皆、重役の地位を目前にした大手企業のエリートサラリーマンのようである。いわゆる山の手の東京弁で、会社のこと、家庭のことなどを話している。自信満々の態度・風貌ではあるが、仲間うちであっても、自分のことを妙にへりくだって喋る。腹の底がむずむずして気色(きしょく)がわるい。私は東京に10年住んでいたけれど、結局、こういう人たちには馴染めなかった。

 大宮で1/3位の客が下車し、終着・東京に向かう。
 1985年、上野-大宮間が開業したときはまだまだ田んぼも目立ったが、今はビルやマンションが林立している。首都東京の膨張は、とどまるところを知らない。
 田端付近を高い高架で通り抜けたあと、列車は徐々に高度を下げて、日暮里から地下に潜る。上野地下駅をゆっくりと通過。ホームに人影はなく、かつて、東京の北の玄関口であった頃の面影は、ない。
 秋葉原で再び地上に出た列車は、次第に速度を落として東京駅新幹線ホームに着いた。

 一旦改札口を出て、急いで夕食の弁当を調達。今度はJR東海の東海道新幹線改札口から入場する。

 東海道新幹線東京駅は、同じ新幹線でも、JR東日本のそれとはまったく異質の世界であるような印象を受ける。駅や車両のデザインはずっとシンプルな感じだが、それがかえって『新幹線の本家・家元はこっちだぞ』と訴えているようにも思える。
 無論、私にとってはこちらのほうが馴染みが深く、大阪までまだ500Kmもあるのに、もう、自宅に帰り着いたような気分である。

 何組もの遠距離恋愛カップルが、別れを惜しんでいる。無機的な新幹線の時代になっても、『駅』は人の感情を高ぶらせる何かがあるのであろう。

 今夜の新大阪行き新幹線は、あと3本である。

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2001年11月10日 制作 
2002年1月11日 修正