みなみ九州 蒸機とスイッチバックの旅

特急きりしま


『きりしま8号』(西鹿児島駅)


鹿児島市電(西鹿児島駅前電停)


桜島(『きりしま』車内から)


都城駅


2929D(都城駅)


2929D車内で

特急きりしま

維新ふるさと館

 午前中は、西鹿児島駅にほど近い、維新ふるさと館を見物する。明治維新で活躍した郷土出身者を通じて、鹿児島の歴史を紹介する施設である。

 最近完成したこの種の施設の例に漏れず、模型や映像を使った展示は、テーマパークのアトラクションのように見ごたえがあった。西郷隆盛をやや英雄視しすぎているような感じもしたけれど、その知名度と施設の性格から言っても、やむを得ないとも思う。

 それにしても、維新で活躍した人々の生涯のいかに短いことか。その多くが改革の志半ばにして、40代そこそこで、敵刃に果てているではないか。酒を呑み、列車に乗るだけの我が身を情けなくも思った。

きりしま8号

 天文館で鹿児島ラーメンを試食したあと、西鹿児島駅から、特急『きりしま8号』で都城に向かう。

 西鹿児島駅を出た列車は、城山の下をトンネルでくぐり抜け、鹿児島駅に停車する。草ぼうぼうの遊休地の向こうに、貨車と赤い電機が見える。市街地のはずれの場末の駅のようにも見えるけれど、鹿児島本線・日豊本線の正式の終点は、この鹿児島駅である。

 鹿児島駅からは、列車は錦江湾に沿って速度を上げる。湾を隔てて、桜島が見えている。今回の旅行中、鹿児島の市街地からは、桜島を望むことは少なかった。高いビルやマンションが立ち並び、視界を遮っているからだろう。

 国分を出た列車は、霧島山麓に分け入る。霧島神宮手前の信号場で、『きりしま5号』と交換。サミットに近い北永野田で普通電車を行き違い、列車は都城に向けて勾配を駆け降りる。財部付近から線路は平坦になって、『きりしま8号』は更に速度を上げるが、時刻表の地図を見ると、ここはまだ鹿児島県である。県境は山間のサミットにあるのが通例だが、どういう経緯であろうかと思う。

 13時34分、西都城着。都城の中心部へはこちらが近く、立派な高架駅である。入駅直前、途中で途切れた高架が見えたが、1987年3月に廃止された志布志線の残がいであろう。

 13時37分着の都城で、一旦下車。次に乗るのは、13時51分発の吉松行きである。少し時間があるので、改札口を出て、駅前を探索。『貸店舗』の張り紙がされた空きビルが目立ち、活気がない。駅前ので真新しいのは無人の消費者金融営業所だけで、数えただけで少なくとも5社はあった。日本、殊に地方の経済は、いったい、どうなっているんだろう。

吉都線

 都城からは、2両編成の気動車で吉松に向かう。
 吉都線は、その名のとおり、吉松と都城を結ぶ61.6Kmの路線である。宮崎県南部と熊本・博多を結ぶ路線として、かつては特急列車も走っていた。けれども、同じ経路で建設された高速道路に太刀打ちできず、現在は普通列車しか走っていない。

 都城を出るときは立ち客もいたが、駅ごとに下車して、数駅もしないうちに車内がガラガラになってしまうのは、近年のローカル線の常である。

 列車は無論、ワンマン運転。放送は基本的にはテープによる面白みのないアナウンスである。けれども、JR九州の運転士は、皆、よく喋る。
 見れば、運転席に普通のマイクが備え付けられていて、これを手に取って放送するわけだ。終着駅到着前には、接続列車の丁寧な案内までしてくれるのには恐れ入る。信号の指差喚呼からブレーキ操作、ATSの確認まで、終着駅到着前になすべきことは無数にあるから、カブリツキで見物している私は、少しハラハラしてする。

 途中の小林で一旦乗客が増えたが、その後はふたたび駅ごとに乗客が減り、終点吉松に着いたときの乗車人員は、10名ほどであった。

 

続く

この項先頭に戻る


Copyright by Heian Software Engineering (C)H.S.E. 2002-2003 Allrights reserved.
2002年11月30日 制作 2003年5月6日 修正