1965年8月 | 神宮前-高山間に準急たかやま号を新設。使用車両はキハ8000系気動車。 | |
1966年3月 | たかやま号の種別を急行に変更。 | |
1970年7月 | たかやま号を富山地方鉄道立山まで延長運転。同時に愛称を北アルプスに変更。 | |
1972年11月 | 運転区間を飛騨古川までに短縮。 | |
1975年4月 | 立山乗り入れを再開。 | |
1976年10月 | 種別を特急に変更。 | |
1984年7月 | 運転区間を通年飛騨古川までに短縮。 | |
1985年3月 | 運転区間を通年富山までに延長。 | |
1990年3月 | 運転区間を高山までに短縮。 | |
1991年3月 | 新型気動車キハ8500系投入。多客期は、JRのキハ85系と併結運転。 | |
2001年9月 | 廃止(予定)。 |
戦前にも鉄道省(現在のJR)の客車を名鉄の電車が牽引する形態で、高山線下呂までの行楽列車が運転されていたらしい。
大戦の混乱で運転が中止されてから、その後の復活までには相当の時間を要した。
けれども、再参入にあたっては、高山線が電化されていないため、全線電化されている名鉄がわざわざ専用の気動車を新造する熱の入れようであった。
1970年、立山黒部アルペンルートの開業に際して、富山から富山地方鉄道の立山まで直通することになった。私鉄特急が、国鉄線を介して更に他の私鉄に乗り入れるという前代未聞のパターンである。
その後、いかなる問題があったのか知る術はないが、運転区間の短縮と延長を繰り返している。
バブル絶頂の1991年には、新製後25年を経過した老朽車両を置き換える目的で、新車が投入される。高山以遠に足を伸ばすことはなくなり、列車の性格を高山・下呂への観光輸送に絞った感がある。JR特急との併結も行って一時は気を吐いたが、実はその間に地方亜幹線の最大の敵である高速道路が徐々に延伸されていた。
高山線とそのまま並行する路線はないが、東海北陸自動車道が清見まで延びるに及び、名古屋-高山間は高速バスで2時間20分となった。強力な特急気動車をもってしても、ほぼ同じ所要時間である。運賃・本数では小回りが利く高速バスが圧倒的に有利である。
無論、マイカーでは、恐らく2時間を切る所要時間で名古屋-高山の往来が可能であろう。私は高山を訪れる機会がなぜか多いが、ここ数年、自動車が恐ろしく増えた気がする。中部・近畿圏からの入れ込みは東海北陸自動車道の清見延伸、首都圏からは安房峠に新しいトンネルが開通した影響が大きい。
かくて、高速道路(を経由するバスと自家用車)との競争に敗れた特急北アルプス号は、2001年9月、静かに姿を消すことになった。
1991年に新製されたキハ8500系気動車が用いられている。全部で5両が在籍しており、うち3両が使用される。
カミンズ社製の強力なディーゼルエンジンを搭載する足回りは、同時期に製造されたJR東海のキハ85系気動車のコピーである。しかし、車体は名鉄のオリジナル。一見したところでは分かりづらいが、キハ85と併結すると、前面ガラスの傾斜角度や車体断面が異なっているのがわかる。
比較的新しい車両なので、北アルプス廃止後は他社への売却が予想される。
■名鉄キハ8500系 前面ガラスは垂直に近く、車体断面が角張っている。スカートの形状もオリジナルだ。 |
かつての鉄道は、軌間さえ同じであれば容易に他社線に乗り入れができた。 しかし、現在では、ATS(自動列車停止装置)や列車無線などの保安機器が会社によって異なるので、相互乗り入れを行う車両はこれらの機器を二重に装備する必要がある。 写真は、名鉄/JRのATS切り替えスイッチ。 |
■JR東海キハ85系キハ8500系に較べると、丸っこい感じ。 傾斜した前面に貫通ホロを取り付けるために、アダプタを装着する。 |
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2001年10月2日 制作
2001年10月3日 訂補