ディジタルカメラは、気軽に撮影してその場で確認できるので、写真の腕前が早く上がると言われたものだ。 1997年にはじめてデジカメを手に私は、以降今までに少なくとも2万枚の写真を撮った。けれども、その腕前はちっとも上がらなかった。 けれども、デジカメを手にして10年経つと、たとえ下手な写真であっても、MOの中で眠り続けるうちに、別の価値が出てくることを知った。正確な時代の記録物としての価値である。 ぐうたらな私は、あいかわらずかわり映えのしない毎日を送っているけれど、それでも、昨日と今日、今日と明日は決して同じではない。5年、10年とわずかな違いが積分されると、それは驚くほどの変化となる。このことを認識させてくれるのが、過去を正確に記録した古い写真なのである。 そこで、(同じ場所としては)もっとも撮影枚数が多い大阪日本橋(でんでんタウン)の10年前の姿を、今(2008年)と対比してお見せしたい。 パソコンや家電の量販店がことごとく姿を消し、かわって、いわゆる『オタク』系商品を店が進出した電気街の変化を実感できると思う。 ※写真をクリックすると別ウインドウで拡大表示できます。 |
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日本橋3南交差点の歩道橋から見たでんでんタウン。 日本橋の定点撮影地点として、定番とも言える場所である。 10年前とくらべて車道が妙に閑散としているが、たぶん、気のせいだろう。 ところで、この歩道橋、近いうちに撤去されて、スクランブル交差点になるという話がある。今後は、このアングルでの撮影はできなくなってしまう公算が大きい。 (左:1997年8月10日(日) 右:2008年7月13日(日)) |
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旧ニノミヤ本社のあたりから、堺筋南方向を見たところ。 いまのアーケードは、2000年10月から1年半の工期を費やして更新されたもの。LED式の電光掲示板が無数にあるが、これは、『通天閣 XXXメートル』のように、設置地点によって掲示文を微妙に変えられる。どういう仕組みになっているのだろうか。 (左:1997年8月10日(日) 右:2008年7月13日(日)) |
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ニノミヤ本店付近で、堺筋の南方向を見たところ。 家電・オーディオ・パソコンを商うお店の看板はほとんど消えてしまった。昔も今も、少々怪しげな商品が並ぶ明電工業は、看板もそのままに盛業中。 (左:1998年8月15日(土) 右:2008年7月13日(日)) |
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日本橋4交差点西側から、北方向を見る。 Apple社のiMacが発売されたのが1998年8月。当時、赤い看板のニノミヤはMac館、青い看板のソフマップはMac Collection IIという、ともにMacintoshを専門に扱う店舗を構えていた。一時期、関西に進出していたT-ZONEの看板も見える。 (左:1998年8月15日(土) 右:2008年7月13日(日)) |
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日本橋4交差点東南角にあるOAシステムプラザのビル。 建物そのものはいまも健在だが、会社はパソコン販売から事実上撤退、店内は雑貨屋になっている。屋上のNECの看板もなくなった。 (左:1998年8月15日(土) 右:2008年7月13日(日)) |
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日本橋4交差点西側から堺筋の南方向を見たところ。この写真を撮ったDC260を購入したソフマップ10号店が写っている。 ニノミヤが廃業してから、ジョーシンはシンボルカラーを赤に改めた。家電を扱う支店は堺筋から姿を消し、生き残っているのは、プラモデルや鉄道模型、CDを扱ういくつかの店とパソコン店1店だけである。 (左:1998年8月15日(土) 右:2008年7月13日(日)) |
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堺筋のミスタードーナツ前から、北方向を望む。 ニノミヤは2005年に事実上倒産、2007年に自主廃業して、本店跡は更地になっている。中川ムセンは起死回生を賭けて雑貨店(ナカヌキヤ)に業態変更したけれど、結局日本橋から撤退。このほか、建物と看板は残っていても、実際にはDVD店になってしまった元家電店やオーディオ店も少なくない。 (左:1998年8月15日(土) 2008年7月17日(木)) |
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地下鉄恵美須町1-A出入口付近。 コワモテの店員がいる伊豆美はそのまま営業中。地下鉄出入口隣の喫茶サントスは、ステーキ屋を経て、いまはいか焼き屋になった。スーパービデオは、この交差点を西に入ったビルに2度目の引っ越し。遥か以前は(いまの)日本橋四丁目の路地裏にあったのだが、ご記憶の方はいらっしゃるだろうか。 (左:1997年8月10日(日) 右:2008年7月17日(木)) |
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日本橋四丁目の裏通りにある共立系の電子部品&ジャンク店:デジット。 看板代わりのテントが更新されたけれど、あとは驚くほど何も変わらない。並びの建物も昔のままだ。 (左:1997年8月10日(日) 右:2008年7月13日(日)) |
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ジョーシン日本橋1ばん館の隣にあった旭無線。アマチュア無線の衰退に伴って、いつの間にかパーツ屋になってしまった。メイド喫茶なんぞに化けるよりは、ずうっと好ましいことではあるのだが。
(左:1997年8月10日(日) 右:2008年7月13日(日)) |
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ウエダ無線。 旭無線のすぐ近くだが、こちらは正統派の無線機屋といった印象が強い。外観は昔のままだが、近ごろは店内に並ぶ商品がずいぶん減って、いつ行っても閑散としている。経営は大丈夫なのかと心配する。 隣のビルには、最近、秋葉原の千石通商が出店した。このあたり、『パーツロード』と呼ぶのだという。 (左:1997年8月10日(日) 右:2008年7月13日(日)) |
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日本橋3交差点から南方向を見る。 現在の大阪のメインストリートは言うまでもなく御堂筋だが、戦前は堺筋が商都大阪を代表する通りであった。 高島屋東別館は、1934年に松坂屋大阪店として竣工したもの。かつての堺筋の繁栄ぶりをいまに伝える貴重な建築物である。 (左:1997年8月10日(日) 右:2008年7月13日(日)) |
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黒門市場。 アーケードの入口はずいぶん立派になった。黒門屋ラーメンがある場所は、以前はウドン屋だったようだ。 (左:1997年8月10日(日) 右:2008年7月13日(日)) |
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■本稿に掲載した写真は、すべて私が撮影したものです。撮影機材は次のとおり。
■参考リンク
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制作:2008年07月13日 修正:2008年08月12日